子供部屋で死ぬと決めた男。

父、死別した母、私、妹。実家暮らしの私は子供部屋で死ぬことを決めました。

今日(2020/11/28)自殺する予定だった

私は父親が本当に嫌いだ。憎い存在である。実家を出ることもできない自分もまた憎い。

 

父親を嫌うようになったのは高校2年の時、母が脳腫瘍に倒れたことがきっかけである。腫瘍を摘出するとまもなく母は私を忘れた。父親、妹のことは理解できているようだったが、私の存在は手術によって母親から摘出されてしまったようだ。

他にもいろいろな記憶を失い母は自分の持ち物に「3年3組 (旧姓 名前)」と書いた。母は高校3年に戻ったのだ。体を動かすこともできなくなり要介護4の認定を受けデイサービスに通うことになった。のちに介護施設の管理本部で働くことになり施設を訪問することで知ったが、そこにいるのは80歳を超えた人がほとんどである。(デイサービスは元気な人が日中通っている場合の方が多いのでそこは勘違いしないでほしい)一緒に通う母は当時45歳だった。

腫瘍を摘出したが母は余命が結局1年だった。脳腫瘍でもタチの悪いタイプで摘出し切れないらしい。そんな母の治療方針について私と父は対立した。治ると信じ切っている父は呼吸器をつけてでも生きてほしいとする父。一方の私は思い出作りをしたかった。

 

私の願いは叶うはずもなく余命の通り免疫を完全に失った母は次の年の12/28に風邪から肺炎を発症し自分が誰かを忘れ、言葉を、体を動かすことを忘れただただ苦しみの中で亡くなった。朝5:28センター試験の追い込み補修の真っ只中母が亡くなったことを理由に欠席することを高校に電話したあの時を忘れられない。

周りの友達には当たり前のように父親がいて、母親がいて私にはいなくなってしまった。母が倒れた段階で現実逃避をしていた。なんなら今でも母が亡くなったことを受け入れられない。亡くなったあの時現実に思えず泣くこともできなかった自分に母の死が現実のものであると実感させたのがその電話で出た人は英語の上位クラスを担当していた先生だった。背丈が小さいが威圧感のオーラを纏い授業が殺伐としいつも当てられないこと、わからない所、予習不足の部分を当てられないよう祈るしかなかったような怖い先生だった。その先生の声を携帯ごしに聞いたあの瞬間、一気に現実のものなのだと理解させられた。泣いて泣いて喋られなくなっている私を宥める先生とのあの通話は鮮明に覚えている。

 

ここまでが前置き

私の治療において初期の段階でネガティブの波に完全に飲まれていた。

外見は完全に普通の人と変わらないこと、周囲からの理解が得られないこと(サボっているだけ、怠けているだけと思われている)、心療内科は薬を出すだけでカウンセリングなど全くしてくれないことがとにかく苦であった。

 

金銭的なところについてもかなり苦しい。一人暮らしができないのも金銭的なものである。奨学金の返済がかなり苦しく治療のためにもお金は必要なため金が減ればその分どんどん心がすり減るのがわかった。母のもとに行きたいと考えるようになった。

 

きっと自分を取り戻し、私の記憶も取り戻しているであろう母のもとに行きたいと願った。死ぬなら母の命日と同じ12/28がいいと初めは考えた。しかし、その日の場合家族が集まってしまうので一人になれない。そこで考えたのが1ヶ月前の月命日である11/28つまり今日である。

 

精神が落ち着き始め今こうして文章にしているが、日程から場所、手段等々全て計画していた。あとは実行するだけというぐらいまで計画は綿密に練っていた。

きっとこの先も辛いことばかりだがもう少しだけ生きてみようと思っている。ほんの少しだけ。

 

部屋の大掃除は生前整理か part5

お久しぶりです。

 

2週間ほど前にようやくこの部屋1番の邪魔者ロフトベッドを解体、処分することができました。前回同様解体後は市の環境センターに持ち込み、「10kgあたり200円」の費用で処分しました。が、1200円も取られてしまいました。つまりこいつ60kgあったってことに、、、通りで解体も運び出しも苦労するしやる気も起きないわけだ。

 

このロフトベッドはネジ留めではなくダボ留めだったためネジのように「パーツごとにバラして」といったことができないためただただ部屋の中で脚のバランスを考えながら倒壊しないように切断していくしかありません。そのためやり終わったあとは何度掃除機で吸っても木屑がなかなか無くならず靴下を洗濯する時が大変。

 

ただこれだけ苦労した甲斐あって部屋はそれまでとは嘘のように広がり室内で「リングフィットアドベンチャー」を余裕でプレイできます。そして夜に外からカーテン越しでもわかるロフトベッドのシルエットが浮かび上がるあの恥ずかしい風景ともやっと別れを告げることができました。

 

次は動ける日にはデスク環境の改善を図って配線のごちゃごちゃをすっきりさせたいと考え中です。

自律神経もおかしくなってると判明した

先週、土曜雨の中親父に連れられて市内にある漢方薬局へ。

 

普段通う心療内科よりずっと親身にカウンセリングしてくれるミスターオクレみたいな爺さん先生の言葉で不眠症状だったり手足の冷えについて副交感神経が弱くなってしまっているということを教えていただいた。

 

確かに私の手足は男にもかかわらず冷え性で爪はもう真っ青だ。血が通っていない。看護学生の妹は講義で習ったけど実際見るのは初めてとキャッキャしていたが私は苦しんでるんだから考えて欲しい。

 

2週間分の抑肝散という漢方を処方された。漢方はたっぷりのお湯に溶かして飲むと苦味を比較的感じず楽に服薬できることをこの1週間で気がついたので漢方を飲むのが初めての人は知っておくといいかもしれない。ただ会計で7500円も取られて驚いた。親父に連れられてじゃないと続けられないのは明白だ。

 

感情に波があるのを受け入れていくしかないし沈んだとしても効果がないと感じて断薬しないで、波を徐々に小さくして行こうっていう言葉にすごく励まされたけどやっぱり昼間は本当にダメだ。

 

この先どうなるのか不安でたまらない。2021年を迎えられる気がしない。

大腸炎再発記念!!!大腸炎回顧録

 

今年の6月末の日曜日の夜、「ああもうまた月曜日が来てしまう仕事行かななー」と考えながら寝る前にトイレでうんこをしました。するとどうでしょう、便器が真っ赤に染まりました。血が苦手な私は顔面蒼白、へたり込んで動けなくなりました。15分ほど動けずようやく寝床に戻った私は次の日午前遅刻して病院にいってから仕事に行くことを決意しました。

翌月曜日朝、職場に遅刻することを伝えかかりつけに行くとなんと自分が思っていたより状況は深刻だったらしくかかりつけは診るまでもなく市民病院の紹介状を持たせ今すぐ行けとの指示。これで1日潰れることを覚悟することになりました。

 

市民病院にはこれまでもお世話になっています。母の看取り、顔面神経麻痺とここまで大事を予想していなかったのでこの市民病院の風景は曇り空も伴ってすごく重苦しく感じたことを覚えています。

 

医者に今の病状を伝え朝の段階でも出血していること、ケツに痛みがないことから痔ではないのではと伝え患部のチェック、つまり触診です。「ああ、またこいつ病院で脱いでる、触られてる。今度はケツの穴に指を突っ込まれます。」そんなことを考えました。自分はそういう性癖は持ち合わせていないのでただただ最悪です。ここ重要。「無」を感じながらなんとかやり過ごします。

その結果腸の内部も詳しく見たいとのことで内視鏡検査をすることになりました。

あとで会計するときにとんでもなくビビったんだけど内視鏡保険適応で25000円近く取られたんだが、実は10割取られてるんじゃねーかとすごく疑心暗鬼になりました。高すぎて高杉晋作になったわ。

じゃあ、内視鏡するからといってすぐに内視鏡はできません。普通は前日とかは何も食べず腸の中を空っぽにした状態で行うのが普通です。では、私はどうでしょう。前日夜をしっかり食べてしまっています。そんな緊急な人に待ち受けるのは「浣腸」です。しかも「イチジク浣腸」みたいなちっこいやつじゃなくてもう普通に点滴やんけみたいなドデカい「浣腸」が私には用意され点滴もぶっ刺されました。病院にやってきたときは普通だったのに1時間でベッドに寝かされ点滴を受けている図式が完成したわけです。こんなはずじゃなかった。

 

また「浣腸」キッツイんだなこれ、、、おかげさまで今まで便秘に悩まされ「浣腸」を使うことが今までなかった私にとってあのデッカイ「浣腸」は本当に我慢できなかった。おばさん看護師にケツを弄られ冷たい「浣腸」を注入されます。しばらくすると腹がグルグルしはじめますが、「5分ほど待て」と指示を受けるためこのグルグルと付き合わされることになります。GOの指示がかかりダッシュでトイレに駆け込みたいですがもうペンギンのような歩みでしか動くことができません。1度目の時点でかなり出たので「浣腸」の威力てすげえわ。しかし医者も看護師も鬼なので1度では許してはくれません。2度、3度と何度も注入されてはトイレに行くを繰り返すわけなんですが何故「患者とスタッフのトイレを一緒にした」、「何故空かない」、、、よちよち歩きでなんとかたどり着いたトイレが中入ってると本当に絶望する(した)(なんなら少し漏れた)(尊厳を失いました。)

 

この地獄を2時間近く繰り返し体力的にも精神的にもボロボロ、車を普通に運転してきた私は検査室に車椅子で運び込まれるまでにはボロボロになりました。(だから点滴が必要だったんですね)

 

内視鏡検査もまた非常に苦しく、私は自分のケツの中から異物を挿入されるような経験はないので苦しくかった。(苦しい苦しいばっかり書いてるけど本当に苦しかったんだから許してくれ)

 

中に運び込まれた私は専用のベッドに寝かされました。頭上にはモニターがあり内視鏡技師の医者と看護師はこれを見ながら作業をするわけですね。そしてこれは私も見ることができなんなら医者はこの映像を私と一緒に共有してこようとしてくるわけです。そんな余裕あるわけない。私は涙を流しながらベッドの上をのたうち回り、呻き声をあげることしかできません。高校大学を立派に卒業し社会人になった私は無力にもベッドの上で看護師に頭を撫でられながら「もう少しですよ、もう少しですよ。」と励まされる始末。書いててみっともないし情けないったらありゃしない。

 

検査をする際車椅子で運び込まれた私は検査終了の時点でもう座ることもままならず、ストレッチャーで運び出されました。もうボロボロを通り越して人間の形をした残骸でしかありませんでした。

 

その後は点滴がなくなるまでベッドで待機、結果は次の週に出るので無くなったら帰っていいよとなりました。

 

病名は「急性大腸炎私の場合は完全にストレスに起因していると思われます。医者からは当然「アルコール」の禁止を言い渡されるのですがこれはまだ我慢できた。問題は「コーヒー」と「辛い物」です。どうして私の好物をピンポイントで禁止してくるんでしょうか。「コーヒー」については血液に対して悪影響があるとのこと、「辛い物」はまぁ、刺激物が腸によくないのは説明されずとも想像つくんですけどね。

 

この大腸炎が仕事を止めることになってしまった大きな原因の一つであることは間違いありませんでした。皆さんも健康には気を付けましょう。

 

そして私はケツに物を突っ込まれて快楽を感じる人を一生理解できないでしょう。

部屋の大掃除は生前整理か part4

やっとタンスの解体が終わった、、、

手首の痛みと近所への騒音を気にしながら休み休みやってようやく学習机、タンスの解体が終わりました。

 

残るはロフトベットなんですがこれ脚を見てみるとダボを楔にして打ち込んで固定してありこれまでのようにネジを外して脚だけにしてから細かく切断していくやり方ができなくなりました。どうしても部屋の中で電動ノコギリの使う必要ができてしまうわけです。

 

最低限に収めるつもりではありますが、部屋の中が木屑まみれになることが必至で今からそれに怯えています。

 

いやマジでどうしよう。

部屋の大掃除は生前整理か part3

大型家具の処分ってすごい大変ですよ、、、

ついに小物の断捨離を終えて大物家具に取り掛かれるようになりました。引越しの時を想像してもらうと簡単なんですが、引っ越す際も段ボールに物を詰めてその段ボールをトラックに積んだその後に大物家具や家電を移動させます。私は新卒で業界1位を7年連続の売り上げを続けている東証一部上場の引越し業者をうつ病を理由に10月に休むようになり、(なぜか休職扱いにしてもらえずその間手当てなしで貯金を切り崩すことになる)2月末で退職3月から田舎の中小企業で勤務するが9月に適応障害を理由に退職といういわゆる仕事についてもすぐ辞める根性なしである。

 

大きく話が逸れてしまったが日中活動を行うために大掃除をしてる中での大物家具の解体をしている。

 

まずはじゅうたんから

じゅうたんが粗大ゴミになるのが一番納得いかないが小さく切ってゴミ袋に入るなら燃えるゴミ判定で持っていってくれるので(ご自身の自治体によって違うかもしれないのでそこは調べておきましょう)早速ホームセンターコーナンにいって粗大ゴミを切るヤツ(電動のこぎりって言います)を買いに行きました。ホームセンターなら電動の物も売っているだろうという考えが的中し、4000円ほどで購入することが来ました。(マキタとかのやつは20000円超えてておしっこ漏らした)

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刃渡り15cmでかなり見た目チープで頼りないですが金属用、木工用、オールマイティ、ブレード(全部ブレードやんって思いますがそう書いてあったのだからしょうがない)と刃を本体に固定するための六角が付属していました。これでじゅうたんをスパスパと、、、いやこれ振動ヤバイぞ、10分作業しただけで腱鞘炎みたいに手首が痛い。六角での固定が甘く刃が外れるなど苦戦しながらもなんとか押入れに10年以上放りこまれていたじゅうたんと学習机を買ってもらった15年前から一度たりとも洗濯等をしたことのない学習机下のじゅうたんを粗大ゴミではなく燃えるゴミとして処分することができた。

 

しかしこの調子ではタンスや学習机にありがちな作業幅を狭めるだけの本棚部分の解体は相当骨が折れるとこの時点で覚悟することになった。

部屋の大掃除は生前整理か part2

終わらない、、、

やれどもやれども終わらない大掃除。無職になってから時間が無限に使えるようになったため開始したこの大掃除。大型家具の解体を中心に「床に物を置かない生活」を目指して10月から開始してこの記事を書いている段階で3週間が経過したわけだが自分の中で一番解体したいロフトベットの解体にいまだ至っていない。

 

なんとか押入れの中を全て全て捨て去ることに成功した。中には今でも遜色なく使えそうなものも多くあったがこの押し入れにあったということは使う場面は決して訪れないのだ。ここを、「あっこれまだ使えそうだからキープしておこう」と残していてはいつまで経っても物は減らない。

やってて気がついた。これが「断捨離」なんだと。

ただ、私の場合は「断捨離」なんていうかっこいい言葉ではなくただ「過去の自分を全て否定しているだけ」なのだ。だから使える物でも何でもかんでも捨てた。全部捨てた。いや、部屋に残ってる元カノ、元カレの物使えるからって残すんか???って話じゃん。童貞だから知らんけど。そういうことだ。

 

押し入れの中の小物や床に転がっているゴミや書類を全てようやく大型家具を解体する準備ができた。

ただ、押入れの中と床、机の上の整理だけで恐らく1〜2週間かかってしまっていることに自分のやることの遅さというかなんというか、、、